ソープを辞めたい。そんな私が梅ゴに辿り着くまで
ソープを辞めたい。そんな私が梅ゴに辿り着くまで
第1章【高校中退。そして自立へ】
今の私を見たら、あまり想像できないと思うんですけど(笑)。子どもの頃は、かなり真面目な生活をしていました。幼稚園から小学校までは私立に通っていて、毎日電車通学。さらに週5〜6日は習い事をしていて、フルート、ピアノ、バレエを習っていました。
一人っ子だったこともあって、学校が終わってから友達と公園で遊ぶような経験もほとんどありません。バレエをしていたので「日に焼けたらダメ」と言われ、休み時間に外へ出る時にも、白くなるくらい日焼け止めを塗られていました(笑)。今とは本当に真逆ですよね。
中学校も本来なら、そのまま私立へエスカレーター式で進学する予定でした。でも、その頃から少しずつ自我が出てきたんでしょうね。「近くの学校に行きたい」と自分から言って、地元の中学校へ進学しました。運動は得意ではなかったので、入ったのは吹奏楽部。
小学生の頃からフルートを習っていて、自分の楽器も持っていたので、「これならできるかな」くらいの気持ちでした。ところが、その学校が全国大会へ行くような強豪校だったんです。
平日も部活、休日も部活、夏休みも部活。地元のお祭りにも行けないくらい、本当に部活漬けでした。しかも部活が忙しすぎて、今度は勉強についていけなくなってきます。
家がかなり厳しく、テストの点数が悪いと携帯を没収。次も悪かったら解約。だから「携帯を取られたくない」という理由で必死に勉強していました(笑)。自分ではそんなつもりはなかったですけど、振り返ればかなり真面目な中学生だったなと。
高校受験では、吹奏楽部で全国大会まで行った実績にも助けられました。途中で何度も部活を辞めたいと思いましたが、「ここで辞めたら高校に行かれへんかもしれない」と思って、最後までやり切りました。
そうして高校へ進学したんですが、そこで一気に反動が来ました。中学時代に頑張りすぎて、完全に燃え尽きていたんでしょうね。
高校ではチアリーダー部に入りました。理由は単純です。衣装が可愛かったから(笑)。でも部活にも勉強にも身が入らず、学校自体も面白いと思えなくなって、だんだん学校へ行かず遊ぶようになりました。
兵庫県に住んでいましたが、大阪の子と知り合うようになり、大阪へ遊びに行くことも増えました。それまで抑えられていたものが、一気に外れた感じだったと思います。そして高校1年生の途中で、「高校を辞めたい」と親に伝えました。
当然、最初は反対されました。「高校だけは卒業しなさい」と言われました。それでも私が辞めたいと言い続けると、「辞めてもいい。ただし、辞めるなら家を出て自分で生活しなさい」と言われたんです。
高校を続けるか、家を出るか。当時の私は迷いませんでした。「じゃあ出て行く」と最低限の荷物だけ持って、本当に家を出ました。
最初は彼氏のところへ行きましたが、彼氏も実家暮らし。当然そこに住めるわけではありません。夜になって「これからどうしよう」と外にいたら、知らないおばちゃんに声をかけられました。
制服姿の若い子が一人でいたので、家出少女に見えたんでしょうね。事情を話すと、面倒見のいい知り合いの女性を紹介してくれて、その方の家にしばらく住ませてもらうことになりました。
今思えばおかしいですよね、見ず知らずの人についていくなんて(笑)。アルバイトをして、携帯代を払って、家にも少しお金を入れる。そこから私の、「自分で働いて、自分で生活する」という人生の始まりです。
第2章【風俗へ。】
その後は彼氏と暮らすようになり、本格的に自分で生活するようになりました。ただ、普通のアルバイトだけでは生活するので精一杯で。一時期は飲み屋やキャバクラのようなところでも働きましたね。
18歳を過ぎた頃には親との関係も少しずつ戻ってきて、「まだ若いんやし、普通の仕事でもいいんじゃない?」と言われ、一度スロット専門店のカウンターで働いたこともあります。ちなみに私はパチンコもスロットもしません(笑)。
普通に生活するだけなら何とかなります。でも、服が欲しい。ちょっといい物が欲しい。遊びにも行きたい。少し贅沢もしたい。そう考えると、普通のアルバイトだけでは余裕がありませんでした。それで再び飲み屋へ戻ります。
ただ、私が飲み屋で一番しんどかったのは仕事そのものではありません。女の子同士の人間関係でした。営業が終わってからも一緒に行動する。仲良しグループができる。常に誰かと関わる。
私は昔から、そういう環境があまり得意ではありませんでした。「しんどいな」と思っていた時、ふと風俗の仕事が頭に浮かんだんです。誰かに勧められたわけではありません。
「風俗やったら、接客中はお客さんと自分だけやろ」
「女の子同士でずっとつるまんでいいんちゃう?」
と思ったんです。
それで自分で調べて電話して、最初に入ったのが普通のヘルスでした。
ところが働き始めてすぐ、「これ、めんどくさいな」と思うことが出てきます。それが、本〇を求めてくるお客様とのやり取りです。
「入れていい?」
「○○ちゃんはやらせてくれるよ」
「みんなやってるで」
「ちょっとだけ」
そういうやり取りを何度もする。私は当時、本〇行為自体にものすごく抵抗があったわけではありません。でも、「ダメと決められている店で、ダメなことを隠れてする」ということが嫌だったんです。追加でお金をもらえばいいとも思いませんでした。
自分の中では、「ダメなもんはダメやろ」という感覚でした。だったら、「最初から本〇する店で働いたらええやん」と思ったんです。
当時は福原が近かったので、「じゃあソープ行こ」くらいの勢いでした(笑)。ここから、私の長いソープ時代が始まります。
第3章【5〜6年続いたソープ時代】
最初は、高級店・中級店・大衆店の違いすらよく分かっていませんでした。「高級店の方がお給料いいんかな?」というくらいの感覚で、いきなり高級店へ行きました。
今考えると、風俗経験もほとんどない状態で高級店へ行くってなかなかですよね(笑)。でも若かったので、その頃は仕事として割り切って働いていました。
ただ、未経験から高級店へ入ったこともあり、だんだんしんどくなってきて、その後は大衆店や中級店など、いろいろなお店を経験しました。特に大衆店は、とにかく回転が早かったです。
お仕事が終わって、次のお客様まで5分。「5分休める」と思うかもしれませんが、全然違います。接客が終わる。片付ける。次の準備をする。マットプレイがあれば、その後処理もする。それを全部やったら、5分なんて休憩ではありません。「5分以内に全部終わらせないといけない時間」です。そしてすぐ次のお客様。それを何人も繰り返します。
私はこの働き方がかなりしんどくて、「これはずっと続けられへんな」と思うようになりました。そんな時に知ったのがSM系のソープでした。その頃には、自分の中で一つ分かっていたことがあります。
私は、受け身の接客がしんどい。お客様に何かをされる側より、自分から責める側の方が楽だったんです。
そこでSM系のソープでは、責め専門のコースを取るようになりました。これは自分に合っていました。自分から責める。自分でプレイを組み立てる。自分のペースを作る。その方が明らかに働きやすかったんです。それからは責める接客を中心に続け、ソープではトータル5〜6年ほど働きました。
ただ、何年も続けているうちに身体がついてこなくなりました。若い頃は何人接客しても、「仕事やし」くらいで終わっていたのに、だんだん本〇が「嫌」ではなく「痛い」に変わっていったんです。
1日に2〜3人接客しただけでも痛くなる。一度痛めると、次の接客がさらにしんどい。でも仕事だから行かないといけない。痛みがひどい時には麻痺させる薬を塗って、それをごまかしながら働いたこともありました。今振り返ると、かなり身体に無理をさせていたと思います。
第4章【本〇、性病、身体の限界】
本〇が身体的にきつくなってきた時、「じゃあ以前みたいな高級店に戻ればいいのか」とも考えました。でも、それも違いました。そういうお店はゴム無しが当たり前。性病になることが多かったんですよね。
もちろん、すべてのお客様がどうこうという話ではありません。ただ、仕事として多くのお客様を接客する以上、感染症のリスクはどうしてもあります。その経験があったので、「もう以前の働き方には戻りたくない」という気持ちが強くなっていました。
それなら、「本〇のある仕事自体を辞めた方がいいんじゃないか」と考えるようになりました。でも、風俗の仕事そのものが嫌いになったわけではありません。
自分から責めるプレイ。お客様を自分のペースへ持っていく。そういう仕事は、むしろ自分に合っていました。だから感覚としては、「本〇だけなくなればいいのに。だったんです。
その頃、飛田新地でも2〜3日だけ働いたことがあります。でも私にはすぐ無理だと思いました。一番気になったのは衛生面です。それまでソープで、お客様も自分も身体を洗ってから接客する環境に慣れていたので、設備面の違いがどうしても気になりました。
数日で、「やっぱり無理です」と辞めました。いろいろなお店を経験する中で、自分が次に求める条件がはっきりしてきました。本〇はない。でも風俗の仕事ではある。受け身ではなく、自分から責める接客ができる。できれば店舗型。そして清潔感のある環境。
そこで、「SMソープのヘルス版みたいな仕事ってないんかな?」と考えて、M性感という仕事が候補に入りました。
「あ、これやったら本〇ないやん」
「しかも責める側やん」
ソープ時代に自分が一番合っていた部分を残しながら、一番しんどくなった部分がなくなる。「これ、私に合うんちゃうかな」と思いました。
そして大阪でM性感のお店を探している時に見つけたのが、秘密倶楽部グループでした。私はソープで店舗型に慣れていたので、次のお店も店舗型であることはかなり重要でした。
毎回どこかへ移動するより、同じ場所へ出勤して、同じ店内で働く。スタッフさんがいる。設備が整っている。そういう環境の方が自分には合っていると思っていました。
候補はいくつかありましたが、最終的に梅田ゴールデン倶楽部を選んだ最初の理由は、実はかなりシンプルです。家から近かったから(笑)。「店舗型やし、近いし、ここでいいかな」 最初は、本当にそのくらいでした。でも実際に働いてみると、「ここに来て良かった」と思う理由は、まったく別のところにありました。
第5章【なぜ梅ゴなのか。本〇がないだけじゃない】
梅田ゴールデン倶楽部で働き始めて、最初に感じたのは、「本当に本〇を求められることがない」ということでした。以前、普通のヘルスで働いていた頃は、本〇交渉をされることがかなり多くありました。
そういうやり取りが何度も続くと、本当に疲れるんです。でも梅ゴへ来てからは、それがほとんどありませんでした。もちろんゼロではありません。ただ、私の体感では本当にごくわずかです。
女性によって感じ方は違うと思いますが、私にとってはこの差がかなり大きかったです。ソープを辞めようと思った一番の理由は、本〇による身体的な負担。普通のヘルスで嫌だったのは、本〇交渉の多さ。その両方が、ここでは劇的に少なくなりました。
しかも、自分は責める側です。ソープ時代に、「私は受け身より、責める方が向いている」と分かっていました。M性感では、その自分に合っていた部分をそのまま活かすことができます。だから、「これ、自分に合ってるな」と思いました。
ただ、これは誰にでも合う仕事ではないと思います。ソープで働いている女性の中には、「本〇した方が楽」という人もいると思います。
自分から動き続ける方が疲れる。お客様にされる側の方が楽。そういうタイプなら、逆にM性感は合わないかもしれません。でも私のように、
「受け身の方がしんどい」
「自分から責める方が楽」
「本〇が身体的にきつくなってきた」
というタイプには、合う可能性が高いと思います。ソープ経験者にとって、「本〇をしなくても、それまで身につけた接客経験を活かせる」というのは大きいと思います。
そして、梅ゴで安心して働けるようになった理由がもう一つあります。女の子同士の人間関係です。ソープ時代の私は、掲示板にいろいろ書かれた経験がありました。
当時は私も顔出しをしていて、若かったこともあり、自分で掲示板を見てしまっていました。見なければいいのに、気になるから見る。見たら傷つく。でもまた見る。その繰り返しでした。中には、「そんなことしてないけど」という内容までありました。すると今度は、
「これ、お客様が書いてるんかな」
「女の子なんかな」
「スタッフなんかな」
と疑うようになります。誰が書いているか分からない。それ自体が怖くなりました。だから梅ゴへ入る時には、「もう掲示板は見ない」と決めて、今も見ていません。
新人期間中に一度だけ嫌なことがありました。お客様を装ったような内容で、「この女性から本〇を持ちかけられた」というような連絡がお店へ来たんです。もちろん、そんなことはしていません。
その話を聞いた時は、「やってないねんけど!?」って感じでしたね。だって、それが嫌でソープを辞めて、本〇をしなくていい環境を探してここへ来たんです。自分から持ちかける理由がありません。
その時に初めて、スタッフさんへ、「ソープ時代、掲示板ですごく書かれていた」という話をしました。以前は顔も出していたので、私を知っている人なら次の店を探すこともできます。
恐らく以前在籍していたソープ店で、私のことを書いていた人が嫌がらせしたんでしょう。そのせいもあって、少し女の子同士の人間関係にも警戒していました。
だから最初は、「3PもNGにしたい」と思っていたくらいです。3Pそのものが嫌だったわけではありません。他の女性と関わることが怖かったんです。
「何か喋ったら、また何か思われるんちゃうか」
「また何か書かれるんちゃうか」
という不安がありました。でも梅ゴでは、
「ここはそんな感じじゃないよ」
「大丈夫やで」
と言われました。最初は、「ほんまかな」と思っていましたけど(笑)。実際に働いていくうちに、本当に違うんだと思うようになりました。働いている女性が健康的なんです。
3Pで他の女性と一緒になる。普通に話す。一緒に接客する。それでも人間関係がギスギスしない。だからといって、誰かと無理につるむ必要もありません。そういう環境だったので、少しずつ警戒心がなくなっていきました。
私にとって梅ゴは、「本〇がないから働きやすい」というだけのお店ではありませんでした。
身体的な負担。
お客様との本〇交渉。
女の子同士の人間関係。
ソープ時代にしんどかったものが、ここではなくなった。だから長く続いているんだと思います。
第6章【ソープを離れて気づいたこと。そして今】
ソープ街って、やっぱり独特なんです。ずっとそこで働いている時は、それが分からなくなります。毎日同じ場所へ出勤して、毎日同じ仕事をする。そうすると、自分の中ではそれが普通になります。「今日も仕事行こ」というだけになるんです。
でも、たまにふと思うことがありました。「私、すごいところに毎日働きに来てるよな」って。街全体の空気が淀んでいて重い。闇を感じるんです。働きに行く側からすると独特の雰囲気を感じます。
ただ、その時はそこで働くしかない。生活するためにはお金が必要。そこが自分の職場。だから、「こういうもんや」と思って働いていました。
本〇することも同じです。毎日仕事として繰り返していると、それが自分の中では普通になります。ソープで働いている頃の私は、「私は別に精神的には大丈夫」と思っていました。
でも辞めてからしばらくして、「よく毎日あれをやってたな」と思いました。痛くても働く。次の接客があるから、ごまかす。感染症の不安もある。今振り返ると、そりゃしんどくなるし病む人とかもいるわな、と思います。
私はソープで5〜6年ほど働きました。高級店。中級店。大衆店。SM系。さらに短期間ですが飛田新地も経験しました。色々な環境を見たからこそ、自分に何が合って、何が合わないのか分かったんだと思います。
受け身はしんどい。
責める方が好き。
本〇はもう身体がきつい。
店舗型がいい
衛生面は大事。
女の子同士で無理につるみたくない。
こうやって並べると、梅ゴは私が求めていた条件にかなり当てはまっていたんですよね。最初に選んだ理由は、「家から近いから」だったんですけど(笑)。結果的には、自分に合うお店を選べていたんだと思います。
そして今は、お金に対する考え方もかなり変わりました。若い頃は、この仕事で稼いだら、ブランド物が欲しい。服が欲しい。欲しい物を買いたい。「稼げたから使おう!!」という感覚でした。
でも今は違います。最近は積立NISAも始めて、「毎月この金額は崩さず積み立てよう」と決めています。医療保険にも入り、がん保険にも入りました。もう完全に老後です(笑)。将来のことを考えるなんて、昔の私からしたら考えられません。
今もソープで働いていたら、こんな自分にはなっていないだろうなと。かなり遠回りしてきたと思います。でも、きっとその遠回りがあったからこそ、「自分に合う働き方」梅田ゴールデン俱楽部に出会えたんだと思います。